停滞ほどつまらないものはありません。
けれど、停滞している状態というのは自分では気付けないものです。そんな自分だけでは気付けないことならば、私は、誰かの声に耳を傾けられる人でありたいです。
そしてしなやかに、変化を楽しめる人でいられたらなら。
『今』、そして何より『自分自身』を客観的に見つめられるか
今の状態や、自分のことを冷静に見つめ直し、疑問を持つことはとても難しいことです。
どうやっても甘くなるし、『ま、こんなもんだろう』と妥協してしまうことも増える。けれど、こうなってしまった時から、人は停滞をしてしまうのだと思います。
『これでいいのか?』と、いつでも疑問を持てる自分でありたい。
誰かのせいにする前に、自分が停滞していて周囲についていけていないのではないかと、ふと考えられる自分でありたいんです。そして、それがどうしてもできない時にも、それを私に教えてくれる人を大事にしたい。
『それは違うよ』と、ストップをかけてくれる人。『落ち着け』と声をかけてくれる人。『見えているものだけが、自分だけが全てだと思うな』とたしなめてくれる人。
そんな人がそばにいてくれたら、私はきっと道を間違えることはありません。
イエスマンだけで自分の周りをかためるのは簡単です。そしてとてもラクでしょう。
それでも、絶対にそうしてはいけないと思うんです。
そんな環境で生きてしまったら、私は絶対に停滞してしまう。停滞は、やがて転落と停止を生んでしまう。
だから私は、『今』そして『自分自身』に対して、いつでも疑問が持てる状態でありたいです。
心はいつでもオープンにしていたい
そんな状態でいられるために、私はいつも心はオープンにしていたいんです。私が心を閉じてしまったら、他の誰かの声は届かなくなってしまう。
私を思って届けようとしてくれる声を、きちんと受け止めていたいから。
例え自分にとって耳が痛い話でも、必要だと思ってくれているからこその言葉を、拒絶するようなことがないように。
かたくなになって、ガチガチになってしまうことのないように。
そんな状態の自分でいられたら、きっと停滞なんて生まないでしょう。
軸はぶれずに、外側はしなやかに。自分がどんどん変わっていくことを、楽しんで受け止められる自分でいられると思うんです。
誰かの言葉で自分が変わることも、また一興。こう考えたら、人生はもっともっとらくに楽しくなる気がします。
……何だろうこのやけにポエムな内容。ぐあーっと出てきた気持ちをそのまま書いたら、何だかとっても恥ずかしい内容に!笑
読み返したらすごく恥ずかしくなったけど、せっかくなので置いていきます。
恥ずかしいことこの上ないけれど、これも私の正直な言葉です。
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